~5月12日 震災63日目の日記~
今日は私の送別会がありました。
送別会?最近の日記で何かを辞めたとか、そういうことは書いていないはずです。
実は3月までお世話になっていた客先の担当者が送別会を開いてくれたのでした。
ですから、正確には「私の」ではなく「私ともう一人の」ですが。
この二カ月余り、企業存続のため、客先の従業員は死に物狂いで働いてきました。
以前も書きましたが、顧客対応のために泊まり込んだり、
自らも被災しながら、会社からの炊き出しの昼食を食べながら、頑張ってきたのです。
そして、被災から2カ月余りが過ぎ、ようやく落ち着いてきたのでした。
ひさしぶりに会った顔は、みな元気でした。
客先の一人から「また黒くなったんじゃない?沖縄でも行ったの?」と。
確かに私は沖縄好きで毎年のように行っています。
客先の担当者もそのことを知っているのでそういう発言になったのでしょう。
でも、仕事がなく、入金の予定も不安な現在、大きな旅行はできません。
きっと震災後に徒歩や自転車で(しかも昼間に)出かけることが多くなったせいでしょう。
総勢5名(しかも男ばかり)で入ったのは、仙台駅近くのもんじゃ屋。
仙台でもんじゃ?と言われそうですが、なかなか美味しかったです。
今回集まった人が所属する部門には「もんじゃマスター」がいて、
見事な手さばきでもんじゃを作るとのこと、
以前iPhoneでその映像を見せてもらいましたが、確かに見事でした。
ひさしぶりに集まって、出る話は、やはり会社のその後。
石巻の拠点はようやくプレハブで再スタートしたとのこと。
三陸沿岸の拠点は津波で全てが流され、再建できるかどうか。
一年ほど前に辞めてしまっていますが、ある拠点で大変お世話になった女性がいました。
社内でも有名なガンバリ屋さんでした。
その方がどうなったか、ずっと気になっていたので聞いてみましたが、
客先の方もわからないとのことでした。
自分が関わった人全てが無事でいて欲しい、そう思うのは無理かもしれませんが、
でもそう願わずにはいられません。
楽しかった時間はあっという間に過ぎ、解散の時刻となりました。
そうでした、まだ週末ではないのでした。
「いまどうしているの?」と聞かれ、「次の仕事が見つからない」と答えると、
客先の一人からは、「選り好みしているんじゃないの?」と言われました。
確かに他の方から見ればそう映るかもしれません。
でも、本当にないんです。
このままでは、生活のためだけに仕事を見つけ、
心も身体も疲弊するだけの生活になるかもしれません。
そうならないためにも、早く復活の道筋を見つけなければ、
そう心に決めた一日でした。
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