サテスタ ~5月24日 震災75日目~

~5月24日 震災75日目の日記~

 

「サテスタ」という言葉に反応する仙台人は少なくありません。

でも、きっとその人たちは、40代以上の人たちでしょうか。

 

私もその言葉に反応する一人です。

 

その頃、仙台を中心に大きく栄えたスーパーマーケットとして、

「エンドウチェーン」というのがありました。

いまで言うと、SEIYUのような感じでしょうか。

 

少なくとも仙台市内でいえば、どこの街にも必ずある、そんな感じでした。

 

一部の大規模店舗は、スーパーというよりも、むしろデパートでしたね。

屋上に遊園地があったり。

とにかく家族で一日いても飽きない、そんなお買いものスポットでした。

 

そのエンドウチェーンが仙台駅前にあり、

そこにあったのが「サテスタ」こと、「サテライトスタジオ」です。

 

週末になると、よく歌手が来てショーを開いていました。

サテライトスタジオという位なので、ラジオだったか、生中継もしていましたね。

私も好きな芸能人が来ると、親にせがんで連れて行ってもらったものです。

小学生くらいの頃でしょうか。

 

一時期は隆盛を誇り、東京にも進出したエンドウチェーンでしたが、

その後、衰退の道をたどりました。

地域店のいくつかがあった場所は、まさにSEIYUになっていると思います。

 

それでも本店?の建物は、ずっと仙台駅前にありました。

それが、今年の3月11日、大きな転機を迎えることに。

 

やはりここも東日本大震災により大きな被害を受けたのでした。

 

近年は「イービーンズ」という、

若者向けのカジュアル衣料のショップ中心の建物でした。

 

建物は東側が旧エンドーチェーン仙台駅前店でした。

西側は新館として、後から建てられたようです。

 

旧館は大きな被害を受けたようです。

特に上層部の4階~6階部分が。

 

そこで被害の大きかった建物東側の4階~6階を解体し、

3階までを残して、新館部分と共に耐震化工事する、

そんな発表がありました。

 

今年10月には新装開店とのこと、地元の人間として、楽しみにしたいと思います。

子供の頃の思い出の詰まった、夢の空間ですから。

 

子供の頃の思い出といえば、仙台駅前から西のほうに歩いて行くと、

東二番丁と呼ばれる、広い通りにぶつかります。

国道4号線のバイパス的役割で、南北に伸びた片側4車線の道です。

 

小学校時代は、その近辺で遊んでいました。

東二番丁の通りに面した、東二番町小学校が母校になります。

 

その東二番町小学校の裏門から、もう一本西の東一番町に向けて、

当時は個人商店の集まった、「壱弐参横丁」(いろは横丁)というのがあります。

現在は、仕事帰りに立ち寄ることのできる飲み屋さんなんかがあったり、

個性的なアクセサリーの店など、小規模の店舗が集まったところです。

 

こちらの横町も、震災でガスや水道の配管が大きな被害を受けました。

費用負担の問題でしばらく復興が先に進まず、

経営者たちにとっては死活問題になっていたのですが、

ここにきてようやく、仮設ながらガス管も復旧、営業再開できるようになったとのことです。

 

仙台は、街中にも、こうした古き良き時代の名残が見られます。

こういったものを、震災によって失わないことも、我々の大切な役目だと思います。


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どん底からの復活者 斎藤 輝男

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東日本大震災は、私から仕事を奪い、どん底に突き落としました。
しかし、私は必ず復活してみせます。このブログでは、その軌跡を残していきます。

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