自衛隊とマニュアル ~6月16日 震災98日目~

~6月16日 震災98日目の日記~

 

マニュアル人間、そんな言葉が流行ったことがありました。

「マニュアルに書いてあることしかできない」

そういう人のことを指していたように記憶します。

 

その「マニュアル」をめぐって、東日本大震災以後、

考えさせられることが多いので書きたいと思います。

 

マニュアルって、なんでしょう?

 

「手順書」「説明書」etc.

 

ある作業や対応をする際に、それに従って行動するもの、

とでも言えばいいでしょうか。

 

では、マニュアルに書かれていることさえやればいいのでしょうか?

マニュアルは絶対なのでしょうか?

そもそも、マニュアルは全ての事態を想定して書かれているのでしょうか?

 

答えはすべて“No”だと思います。

 

いま問題になっている、某所の、核融合を利用した発電所。

そもそも、今回のような大震災は想定されていたでしょうか。

報道によれば、電源が全て遺失するような事態は想定されていなかったそうです。

 

避難が遅れて多くの子供たちが津波の犠牲になった学校、

今回のような場合の危機管理マニュアルがなかった?

 

不備なマニュアル、あるいは、そもそもマニュアルがないのでは、

いざという時に正しく対応することはできないと思います。

 

そして、現実的に被害を大きくしています。

 

でも、逆にマニュアルにない対応で心から感謝されている人たちもいます。

 

それは、自衛隊の人たち。

 

私の知人にも自衛隊員はいます。

以前、音楽活動を一緒にしていました。

彼は、橋を掛けたりする部隊にいます。

 

まさに今回のような時に、最前線で活躍する人たちです。

今回の震災でも、津波によって流された橋のところに仮設の橋を掛けたり、

大活躍です。

彼の自宅は宮城県でも内陸部にありますので、津波の被害は逃れました。

でも、やはり彼も被災者です。

 

それでも、他の隊員と同様、震災からしばらくは帰宅できない日が続きました。

いや、帰宅できないどころか、休む間もないほど。

自衛隊員だって人の子です。

そんな生活を続けていれば疲弊します。

 

広報の記録係の隊員が、そんな姿を写真に収めています。

記録係の仕事は、全ての活動を記録すること。

活動の中で、そんな疲弊した隊員の姿も写真に残していました。

私も観ましたが、きっと、その被写体になっている隊員の家族は

いたたまれなかったでしょうね。

第三者の私でさえ、観るのが辛かったです。

 

自衛隊の活動、決してマニュアルがないわけではないと思います。

いや、むしろ他のどこよりもしっかりしたマニュアルがあることでしょう。

そんな彼らがいま賞賛されているのは、自らを犠牲にしたともいえるその活動、

それが評価されているのももちろんですが、

それ以上に、「マニュアルを超えた対応」をしているからではないでしょうか。

 

震災の発生した3月は、卒業のシーズンでもありました。

でも津波に呑まれた学校の多くでは、土砂や瓦礫のせいで

卒業式が出来ない状況。

それを知った、たまたま瓦礫の撤去に来ていた自衛隊員たち、

職務である瓦礫撤去の作業の合間に、学校の体育館の土砂(ドロ)を

取り除いて卒業式ができるようにしてくれたそうです。

しかも、卒業式当日には、ピアノも流されてしまった学校のために、

音楽隊が演奏してくれたと。

 

ある避難所では、結婚式を控えていたカップルが、被災して式をあげられずにいましたが、

たまたま(元々式の予定だった日に)避難所を訪れた自衛隊(音楽隊)員が

その場で木村カエラの「バタフライ」を演奏してお祝いしたそうです。

 

選曲もいいですよね。「結婚行進曲」とかじゃなくて。

 

いまは女性隊員も増えていますが、

女性隊員の中にはカウンセラーの知識や資格を持つ人も。

そんな人たちが集まって、「お話し伺い隊」というのを作り、

避難所の人の、普段押し殺して我慢している心の悩みを

ひたすら聞いてあげているんだそうです。

 

それ以外でも、瓦礫撤去の際に、思い出の品を本人や家族に返そうと、

決して重機でがっさりと掘り起こすことなく、

ていねいに、ていねいに、一つ一つどけていった、

という話は有名になりました。

 

これって、全てマニュアルには書いていないですよね?

マニュアルに書かれた本来の業務を遂行しつつ、

その上を自分たちの判断で“臨機応変に”対応しているんですよね?

 

場当たり的な対応と、臨機応変な柔軟な対応は違います。

上で書いた、知人の自衛隊員も、普段は優しいオヤジです。

以前、バンドのライブに高校生のお嬢さんが来てくれて、それは嬉しそうにしていました。

別の時に、彼が昔からのファンであるプロのドラマーが来仙して、

サインをもらって、一緒に写メを撮ってもらった時の顔は、少年のようでした。

 

早く彼らに普通の生活に戻って欲しい。

彼らもまた、被災者です。


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どん底からの復活者 斎藤 輝男

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東日本大震災は、私から仕事を奪い、どん底に突き落としました。
しかし、私は必ず復活してみせます。このブログでは、その軌跡を残していきます。

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