~3月9日 震災2日前~
あれが前兆だったのでしょう。
でもその時は、まさかこんなに急にやってくるとは思いませんでした。
3月9日11時45分頃、宮城県沖を震源とする、M7.3の地震が発生しました。
この時の震度は、最大で震度5弱。
もう少しでお昼休みという時に、携帯電話の緊急地震速報のアラームが
けたたましく鳴ったのを覚えています。
私がいる宮城県仙台市では震度3でしたから、
それほど大きく揺れたわけではありませんでした。
それでも、直ちにテレビをつけて、職場の全員で画面を食い入るように
見つめたのでした。
でもその時はまだ、これが日本における観測史上、
最大の被害をもたらす地震の前兆とは誰も思いませんでした。
いや、少なくとも、その約50時間後にこのような事態になるとは…。
私はもともと仙台市に生まれ、仙台市に育ちました。
ですから約30年前の宮城県沖地震も経験しています。
あの時は、高校2年生。
二期制の学校でしたので、ちょうど前期の中間テストの頃でした。
その年は年の初めから地震が多かったことを今でも覚えています。
震度3から震度4の地震が、数回はありました。
ですから、いずれ大地震が来るのではないか、
そういった心の準備も出来ていました。
昨年から今年にかけては、報道でも、宮城県沖地震の再来ともいえる
大きな地震が直近で起きる確率が90数パーセントに高まっている、
という報道が頻繁にされるようになっていました。
それでも、年が明けてから、宮城県沖地震の年のような、
中規模の地震が多かったわけではなかったので、まだ大丈夫だろう、
そんな気持ちでいました。
だからこそ、この3月9日の大きな揺れも、
これから地震が活発になっていくかもしれない、
そろそろ準備をしないといけない、
そんな気持ちになったところでした。
この日、地震について、同じ職場の人たちとも話しました。
ある人は、地震に備えて、反射式の石油ストーブを準備したそうです。
最近では、ファンヒーターのほうが主流ですが、
ファンヒーターは灯油だけでなく、電気も使用します。
停電すると、たとえ灯油があっても、使用できないわけです。
確かにそうですね。
私もファンヒーターと小さな電気ヒーターしか持っていないので、
近いうちに反射式の石油ストーブも買おう、そう思いました。
でも正直なところ、「まだ大丈夫」という気持ちもありました。
そういう時に限って、災害はやってくるもの。
結果的に間に合わず、3月11日の本震後、電気が復旧するまでの間は
暖房器具の一切使えない、毛布にくるまって寒さをしのぐ、
そんな日が続くことになるのでした。
この日の地震は、二日後の本震同様、
宮城県内では県北の揺れが大きかったのでした。
ちょうど友人が、祖母の急死で帰省していたので、
心配になってメールしました。
震度の割には被害もなく、家族もみな無事ということで
安心したのを覚えています。
今日の一言:備えあれば憂いなし
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